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ゲッティンゲンでの出会い アドルフ・ライナッハ

フッサールのもとで博士論文に取り組み始めたエディット・シュタイン  は、孤独で厳しい制作過程の中で行き詰まり、精神的に極限まで追い詰められていた。 「次第に私は絶望の中に陥って行きました。自分の意志を押し通すことのできないものに直面するのは、人生で初めてのことでした。知らず知らずのうちに、母の座右の銘『意志があれば成し遂げることができる』『始めさえすれば、愛する神様が助けてくださる』が、私の中に非常に深く根付いていたのです。私は自分の頭が、ぶ厚い壁よりも硬いと言って、よく自慢していました。そして今、私は壁に怪我をするほど額をぶつけましたが、呵責のない壁はびくともしませんでした。私はそれによって、人生は耐えられないという思いを抱くまでになりました。私は何度も、人生にはまったく意味がないと思いました。博士論文が終わらないとしても、国家試験の論文にはなるだろう。よい哲学者になれなくても、たぶん役に立つ教師にはなれるだろうと考えてみました。しかしこのような理性による理由づけは、何の役にも立ちませんでした。私は通りに出るたびに、自分が車にひかれることを願いました。外にハイキングに行ったときには、自分が転んで、生きて帰って来られないことを望みました。」 このような切羽詰まった論文制作のプロセスで、ひとときの安らぎを与えてくれたのが、アドルフ・ライナッハのゼミであった。 ライナッハは、ミュンヘン大学のテオドール・リップスの弟子であったが、『論理学研究』を著したフッサールが、ゲッティンゲン大学に招聘されたのを契機に、数人のリップスの弟子たちとともに、1905年にゲッティンゲンに移って来た。これがゲッティンゲン学派の始まりである。ライナッハはゲッティンゲンで教授資格を取得し、哲学の私講師を務め、フッサールの右腕として、フッサールと学生たちの調整役をも果たしていた。エディットは追い込まれた状況でライナッハのゼミに出ていたときの思い出を次のように述べている。 「私の心の状態がどのようなものかは、誰も気づいていませんでした。哲学研究会とライナッハのゼミで共同で研究しているとき、私は幸せでした。私は自分が守られていると感じているこの時間が終わりを迎え、孤独な戦いが再び始まることだけを恐れました。」

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