エディット・シュタインとブレスラウ
ユダヤ系ドイツ人哲学者のエディット・シュタインは、1891年10月12日、ブレスラウに住むユダヤ人家庭に11人の子どもの末っ子として生まれた。父親のジークフリートは材木商を営んでいたが、エディットが2歳になる前に亡くなった。それ以降は母が子育てと、材木商として一家の家計を支える役割を兼ねた。母は熱心なユダヤ教徒で、日々の祈りと伝統的な祝日を大事にしており、エディットの家庭での生活全体は、ユダヤ教の精神に貫かれていた。エディットの生まれた日は、この年、ユダヤ教の最も大事な祝日である「贖罪の日」に当たっていた。母は特にこのことを価値あることと考え、エディットを子どもたちの中で一番可愛がってくれた。
エディットは『自叙伝』の中で、この祝祭について次のように記している。「ユダヤ教の最高の祝日は『贖罪の日』です。昔はその日に、民族のすべての罪を担った『身代わりの羊』が荒野に追い立てられ、その後に大祭司が至聖所に入り、自分自身と民族全体のために、贖罪の生け贄をささげました。これらすべては、今ではもう行われていません。しかし今でも、この日には祈りと断食が行われ、ユダヤ教を少しでも守っている者は『会堂』に行くのです。私は他の祝祭で出されるご馳走を決して拒否したりはしませんでしたが、この祝日に24時間以上、何も食べず、何も飲まないことに、いつも特別な魅力を感じていました。私はそれがほかの何よりも好きでした。前の晩には、夕食をまだ明るいうちに食べなければなりませんでした。というのも、最初の星が空に出るとき、シナゴーグの礼拝が始まるからです。この晩には母だけではなく、年長の姉たちも一緒に付いて行きました。また兄たちは礼拝に欠席しないことを、名誉ある義務のように考えていました。この晩に聞くことのできる素晴らしい古いメロディーは、他宗教の信者さえ惹きつけるものでした。」
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