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小崎登明修道士とのこと

 トマさん(小崎登明修道士)について 私をトマさんのもとへ連れて行って下さったのは、熟議仲間の櫻井蓉子さんとそのお友達の神田千草さんでした。3年前の12月、場所は聖コルベ記念館でした。半生をかけて集め、整理したコルベ神父様の資料を前に、トマさんが熱く語ったのは、一言で言えば、コルベ神父様のことがもっと知られるようになってほしいということでした。具体的に何かを頼まれた訳ではありませんが、心に小さなトゲが刺さったような感じでした。 それ以降、関心を持ってトマさんの「日記」を読むようになりました。そこには私の親しい人がたびたび登場して来ました。 私が勝手に自分の霊的指導者と仰いでいる瀧憲志神父様。私の長女の親友のお父さんで、心臓発作を起こしたときに徹夜で治療して下さったヨゼフクリニックの高木正剛先生。私の韓国の親友で、韓国如己の会の会長だった崔玉殖先生。崔先生はトマさんの「親友」でもありました。 人のご縁の不思議さを知るにつれて、トマさんが私に与えたトゲ(宿題)に私なりに答えられないかと考えるようになりました。 その答えがトマさんの『長崎のコルベ神父』を英訳することでした。かつて崔先生と一緒に韓国の李大司教著の永井隆博士伝をドイツ語に訳したことが、決断の背景にありました。 不思議なご縁で、アメリカのカトリック系出版社が出版を、ジョージタウン大学のケビン・ドーク教授が英語のチェックを引き受けてくれました。ドーク教授とは共通の研究を通して、旧知の間柄でした。しかしこの依頼をした後はじめて、ドーク教授が曽野綾子著『奇跡』の英語翻訳者であることを知りました。コルベ神父をテーマにした本の英語訳者にピンポイントで出会ったことも、不思議なことでした。 『長崎のコルベ神父』の英語訳をトマさんに直接渡すことが願いでしたが、それは叶わぬこととなりました。ドーク教授のお墨付きを得た原稿はすでに完成し、出版社校正も終わり、あとはレイアウトの完成と印刷を残すばかりです。完成した暁には、聖母の騎士修道院とトマさんが入居していた聖フランシスコホームに持参する予定です。 最後に一つ。 NHKディレクターの渡辺考さんの企画が出発点になるNHKの『こころの時間』。渡辺さんと一緒に何度かトマさんを訪ねました。渡辺さんの転勤で、NHK長崎の別のディレクターが制作することになりましたが、トマさんは渡辺さんに大変感
 『岐路に立つ教育』への導入(2) 自由   人格が最も熱望するもの、それは自由である。私はここで自由意志のことを言っているのではない。私が言っているのは自発性、発展あるいは自律としての自由であり、それは耐えざる努力と戦いによって勝ち得られねばならない。このような欲求の中でより深淵で、本質的なものは何か。それは内的・精神的自由への欲求である。( 14 〜 15 頁)   ここでは「人格」「熱望」「自由」「精神」など、マリタンの哲学を理解する上では不可欠の概念が並んでいます。この一つひとつの概念を、マリタンがどういう意味で使っているかを丁寧に理解していくことが、文献全体を読み解くのに不可欠です。この本は一見平易そうに見えて、実は非常に難しいのは、今あげたような概念の難しさに由来する部分が大きいと思います。    ここでは「自由」という概念について考えてみましょう。 マリタンは、自由を一般的な理解とは異なった意味で用います。私たちが「自由」という言葉で理解しているのは、選ぶことのできる自由、決めることのできる自由、つまり「選択の自由」あるいは「自由意志」です。しかしマリタンにとっては「選択の自由」は自由の出発点であって自由のゴールではありません。自由のゴールをマリタンは「自律の自由」と呼びます。私たちは「自律の自由」の獲得に向かって「選択の自由」(自由意志)を行使するというのがマリタンの考えです。  マリタンが自分勝手に概念を使っているという訳ではありません。実は私たちも、あまり意識せずに、自由をこの二つの意味で使うことがあるのです。私たちが日頃気づいていない側面をマリタンは明るみに出しているのです。 例を挙げてみましょう。子どもがピアノを習いたいと言って、習い始めたとします。そのとき、この子どもは他にもある時間の使い方の中から、ピアノを習うことを選んだのです。ここで行使されるのが選択の自由です。習い始めは楽しかったピアノも、だんだん練習が難しくなるといやになることもあります。それでもピアノを続けることを「選んで」、続けているとだんだん難しい曲が弾けるようになります。あるとき、その子の演奏を聞いていた友達が「◯◯さんは、自由にピアノが弾けるんだ」と感心したとします。ここで使われる「自由に」が、ピアノを弾くことを選択するという意味ではなく、何らかの身についた力を示している
『岐路に立つ教育』への導入(1)  ジャック・マリタンは『岐路に立つ教育』が書かれるようになった動機について、第四章「現代教育の試練」で次のように語っています。   人類が今日直面している奴隷化と非人間化の大きな脅威を克服した暁には、人間は新しいヒューマニズムを渇望し、人間の十全性を再発見することを切望し、先行する世代がかくも苦しめられた分裂を避けることを願うであろう。この十全的ヒューマニズムに対応して、十全的教育が存在しなければならない。 この 本の元になるイエール大学のテリーレクチャーズにマリタンが招かれたのは、 1943 年のことです。このときマリタンは、妻のライサとともに、アメリカで亡命生活を送っていました。 1939 年、アメリカに招かれて滞在しているときに、第二次世界大戦が始まり、マリタンは祖国フランスに帰ることができなくなります。その最大の理由は、妻のライサがユダヤ人で、帰国するとナチスによる迫害を受けることが懸念されたからです。 マリタンが心配したように事態は推移します。マリタンが講義を行った 1943 年には、ナチスによるユダヤ人の大虐殺は、すでにマリタンの耳にも届いていました。「奴隷化と非人間化」が指すのは、ナチス・ドイツの人種政策がもたらした、人間の尊厳を踏みにじる残虐な行為を指し示しています。 マリタンはナチスの支配体制が終わり、人間の尊厳が重んじられる新しい社会が到来したときに、新しい教育が必要だと考えます。『岐路に立つ教育』は新しい社会における教育の構想を提示したものです。マリタンはこの新しい社会を十全的ヒューマニズム、新しい教育構想を十全的教育と呼びます。マリタンはすでに 1936 年には、十全的ヒューマニズムの構想を公にしており、それに呼応する形で 1943 年に十全的教育の構想を示したわけです。十全的( int é gral )はマリタンを理解する鍵概念です。この点については項を改めて述べたいと思います。

コロナ危機と信望愛

 バチカンニュースで、韓国の李大司教がコロナウィルスに対しては「希望の徳」をもって応えよと述べられたというヘッドラインを読み、まことにその通りだと思った。 コロナ危機に対して人間が愛をもって応えなければならないというのは、メルケルの3月18日のテレビ演説の根本にも見られる考えであり、それが、この演説により世界の多くの人の心が揺さぶられた理由であろう。昨年初めよりもはるかに深刻な第二波、第三波を経験している現在の世界が、絶望に陥ることなく希望を持ち続けなければならないという李大司教の指摘は、愛徳と同じ対神徳である希望の徳に私たちの目を向けさせる。おそらく今問われているのは、人間が信望愛という対神徳を持ちうるかという根本的な問題であり、コロナ危機は人間の実存の最も深いところ、神との関わりを問い直させる危機だということであろう。

日記初日

 継続は力なりだが、果たして続くだろうか?大いに疑問だが、とにもかくにも始めよう。 永井隆博士が1949年に編集・出版した山里国民学校の生徒の被爆体験記『原子雲の下に生きて』。本日37人目の生徒の体験記をドイツ語へと訳了。原爆を子どもがどう体験したかを知る上で、貴重な資料。子どもは原爆を恐怖として体験するだけではない。愛し、愛されることの素晴らしさを知り、生の喜びを知り、決意する。そのような重層性のもとで、体験を理解することが必要だと思う。