フッサール『論理学研究』との出会い
一度は地元を出て、別の大学で学びたいと思っていたエディットは、ブレスラウ大学での第四学期(二年生後期)に、ここで学ぶことはもう何もなく、自分には新しい刺激が必要だという思いを抱くようになり、転学を考えるようになった。二年前にハイデルベルク大学に入学を希望した際に、大学の「詩情」が重要な役割を果たしたのとは異なり、今回大学を選ぶ際に決定的な役割を果たしたのは、フッサールの現象学との出会いであった。
1912年の夏学期と冬学期、シュテルンのゼミでは思考心理学がテーマに取り上げられた。このゼミで読むように指定されたいくつかの文献に、繰り返しエトモント・.フッサールの『論理学研究』が出てくることにエディットは気づいた。ある日、ゼミの参加者であるモスキエヴィチという若い研究者が「つまらないものはすべて放り出して、この本を読んでごらん。ほかの学者はここから、すべてを持ってきているんだ」と言って、『論理学研究』をエディットに渡した。さらに、一学期間、ゲッティンゲン大学で学んだことのある彼は、現象学で活気に満ちたゲッティンゲンの町の様子を次のように語った。「ゲッティンゲンでは、どこに行っても人は哲学をしているんだ。昼も夜も、食事の時も、通りでも、どこでも。みんな『現象』のことばかり話している。」こうした言葉が、フッサールのもとで現象学を学びたいというエディットの気持ちを駆り立てた。
当時の哲学は大きく二つの陣営、すなわちトマス・アクィナスを含むスコラ哲学的伝統を継承するカトリック哲学、ルネサンスに始まり、カントで頂点に達し、カントの流れを汲むそれ以降のさまざまな哲学に分かれていたが、フッサールはこのどちらの陣営にも属していなかった。彼は数学者として出発し、ウィーン大学のブレンターノのもとで、哲学が厳密な学問であり得ることを学び、専門を哲学へと変え、数学の哲学的基礎づけから、その研究を出発させた。フッサールは、研究をその後さらに発展させ、彼を国際的に有名にした『論理学研究』を出版した。エディットがモスキエヴィチから受け取ったのは、『論理学研究』の第二巻であった。エディットは『論理学研究』について次のように述べる。
「『論理学研究』の第一巻は1900年に出版され、当時支配的であった心理学主義およびその他の相対主義に対する根元的な批判により、時代を画するものでした。その翌年に第二巻が出版されました。第二巻はその射程と意義により、第一巻をはるかに凌ぐものでした。なぜならここで初めて、論理学の問題を取り扱うための方法が適用されたからです。それはフッサールが後に、「現象学的方法」として完成させて、哲学の全領域に拡大した方法でした。」
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